母子手帳が誕生したのは、1948年(昭和23年)です。今は、「母子健康手帳」という名前に変わりましたが、もう70年も続いているんですね。
今回は、母子健康手帳がどのように変わってきたのかについて、記事を書きました。
妊婦の産前産後の経過や乳幼児の予防接種状況などを一括で管理する「母子健康手帳」(通称:母子手帳)。この母子手帳、世界で初めて導入したのが日本だということをご存じですか?
現在、日本の妊産婦・乳幼児死亡率は世界トップクラスの低さで、母子手帳の導入や予防接種の広がりなどが大きく寄与したとみられています。
国際協力機構(JICA)によると、1990年ごろ以降、途上国を中心に15か国が母子手帳を制度として本格導入、計50か国がなんらかの形で採用してきたといいます。
そんな世界のお手本とも言える母子健康手帳の歴史を紐解きます。
目次
母子健康手帳とは
母子健康手帳(ぼしけんこうてちょう)とは、母子保健法に定められた市町村が交付する手帳のことで、
「母子保健法第16条1項に、市町村は、妊娠の届出をした者に対して、母子健康手帳を交付しなければならない。」と定められており、この法を根拠に配布される手帳を指します。
母子健康手帳の歴史
母子手帳ができるまで
昭和17年の「妊産婦手帳」が起源?
母子健康手帳の原形は、昭和17年から始まった妊産婦手帳にみることができます。
「妊産婦手帳規程」(昭和17年(1942年)厚生省令第35号)において、
「妊娠した者の届出を義務づけ、その者に妊産婦手帳を交付すること」、「妊産婦はできるだけ保健所、 医師、助産婦又は保健婦による保健指導を受け、診察、治療、保健指導又は分娩の介 助を受けたときは所定の事項を記載してもらうこと」、「妊産婦手帳は、妊娠、育児に関し必要な物資の配給その他妊産婦及び乳幼児保護のため必要のある場合にこれを使 用されること」が定められており、
その法目的は、「流産・死産・早産の防止」、「妊娠及び分娩時の母体死亡の軽減」を目的としていたものでした。
また、昭和17年(1942年)か ら昭和20年(1945年)までは、
国民体力法に基づく「乳幼児体力手帳」が用いられていました。
昭和22年に児童福祉法が成立、公布され、これに 基づいて保健所を中心とした母子衛生行政が推進され、その一環として妊産婦手帳の本来の目的であった妊産婦自身の健康管理だけでなく、この手帳の対象を小児まで拡大して「母子手帳」とし、昭和23年にその様式が定められました。
( 参考:厚生労働省 母子健康手帳の交付・活用の手引き)
時代と共に変化する「母子健康手帳」の70年
母子健康手帳の誕生 1948年(昭和23年) ~ 1965年(昭和40年)
母子健康手帳の原型は、1942年に始まった国民体力法に基づく「乳幼児体力手帳」と考えられますが、当初は「流産・死産・早産の防止、妊娠中や出産時の母体死亡を減らすことが目的でした。
そして、戦後の混乱から子供を保護すべく、1948年にママと子どもの健康管理するための「母子手帳」が誕生しました。
サザエさんの連載開始が、昭和21年ですから「タラちゃん」が生まれた頃から母子手帳が開始されたことになります。
母子健康手帳に名称変更 1966年(昭和41年) ~
1965年に制定された母子保健法に基づき、「母子健康手帳」と名称が変更されました。
母子健康手帳になり、母子手帳にたくさん書かれていた「躾」の項目が削除されました。
母乳は赤ちゃんにとって最も優れた栄養であるとし、母乳を強く勧めるようになったそうです。
また、「泣いたら授乳は御法度」のような記載もあったようで、時代を感じさせる内容です。
この母子保護法により、妊娠した者が妊娠の届出(勧奨)をすることにより、自治体が母子健康手帳を交付するようになりました。
その後も、社会情勢や保健医療福祉制度の変化、乳幼児身体発育曲線の改訂 などを踏まえて様式の改正が行われていきます。
育児スタイルの変化 1985年(昭和60年) ~
1985年から育児方法の記載が大きく変化しました。
- 授乳は、時間を決めずに、乳児が欲しがるだけ与えても良い
- 抱っこしたいときに、抱っこをしても良い
- スキンシップの添い寝が推奨される
というように、育児方法についての記載がこれまでの内容と大きく変化し、
母子間のふれあいを大切にするような内容に変化してゆきました。
直射日光に警鐘? 1998年(平成10年) ~
1998年から日光浴を勧める文言が削除されました。
日光浴を勧める文言が削除され、紫外線防止を心がける傾向に変化します。
この頃は、フロンガスの大気放出などを原因としたオゾン層破壊が世間を賑わせた頃です。
「日光に当たることは良いこと」という考えから、「直射日光を避ける」というマインドに変化し始めます。
日光浴は、体内でのビタミンDの生成に必要です。
しかしながら、技術の進歩により栄養状態も改善され、食事から十分なビタミン D を取れるようになります。
これにより、「くる病」の心配がなくなった事で日光浴を推奨する記載がなくなってゆきました。
現在と同様に、「外気浴」を推奨するようになったのです。
表現の変化 2002年(平成14年) ~
2002年から断乳という表現が無くなったそうです。
また、離乳食の完了もゆっくりに変化しました。
離乳食の完了は、「1歳」から「1歳~1歳3ヶ月」と幅を持たせるよう変化してゆきます。
これまでは、1歳までに断乳することが勧められていましたが、そもそも「断乳」という表現がなくなります。
果汁は必須ではなかったの? 2008年(平成20年) ~
2008年から離乳食開始は、5・6ヶ月頃。離乳食開始前の「果汁」は、与えなくてもよいことに。
離乳食の開始が5ヶ月から「5・6ヶ月頃」に、離乳食の完了が「1歳~1歳6ヶ月頃」に変化します。
また、離乳食開始前に果汁を与えることに栄養学的な意味がないとされ、与えなくていいことになりました。
おやつは、お菓子タイムではなく栄養を補うための補食であることを伝えるために、間食(おやつ)と表現されるようになりました。
うんちの色チェックカードが付いた 2012年(平成24年) ~
うんちの色のチェックカードが付き、育児不安にならないように配慮されるようになりました。
2012年からの新様式は、母子保健をめぐる状況の変化や2010年(平成22年)乳幼児身体発育 調査の結果を反映した乳幼児身体発育曲線の改訂、そして社会情勢や保健医療福祉制度の変化を踏まえて改正されています。
胆道閉鎖症の早期発見のために、新生児期の「便色カード」がつきました。成長発達の確認項目では、「はい or いいえ」形式から、「できた時期」を記入するように変化しています。
「いいえ」と答えることがママの精神的負担にならないように配慮する意向があったようです。
また、妊婦自身の記録のページ数が大幅に増え、妊娠期からのパパの育児参加も促されるようになりました。
下に、本改正による母子健康手帳の主な変更点をまとめています。
母子健康手帳の主な改正ポイント
直近の法改正により母子健康手帳の内容が変更されているのですが、主な変更点をリストにしました。
- 「妊婦自身の記録」ページの大幅増加。
- 妊娠中の「検査の記録」欄、妊婦健康診査などの結果を貼付することができる「予備欄」設置。
- 「早期新生児期の経過」にビタミン K2シロップ投与の欄、 「後期新生児期の経過」に新生児訪問時などの記録欄を追加。
- 胆道閉鎖症など生後1か月前後の児の便色の異常を呈する疾患の早期発見に役立つことが期待される「便色の確認の記録」(便色カード)ページの設置。
- 1歳、2歳などの節目に、両親からのメッセージを記入する欄の設置。両親の想いが母子健康手帳に込められるよう工夫した。また、「両親から」とすることで、父親が記載しやすいようにした。
その他にも変更点があります。詳細を知りたい方は、厚生労働省「母子健康手帳の交付・活用の手引き」をご参照ください。
さいごに
昭和20年代前半から今日まで、 母子健康手帳の変化について年代別に記載しましたが、いかがだったでしょうか。
所々写真を入れるようにはしたのですが、今回は文章がメインになってしまいました。
わかりにくいところや間違っているところがありましたら、気軽にコメントください。適宜修正させて頂きたいと思います。
ビタミンDは、健康な体を維持するためになくてはならないもの。カルシウムの吸収や筋肉の合成を促したり、免疫の機能を調整・維持してくれます。体の中でホルモンのように働いて、体中の細胞にさまざまな指令を出す、重要な働きを担っているのです。そんなビタミンD、実は皮膚に日光があたることで、体内に合成されます。
NHK健康チャンネル 免疫機能を維持するために必要なビタミンDを摂取する方法 より抜粋